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由緒沿革


源氏家の後裔であり、御料荘司の右衛門佐正善(梅本家第九代)が、本願寺第八代門主蓮如上人の1475〜77年の大和巡錫の際、弟子となり得度を受け、法名を善南と賜わった。しかし、善南は、御料荘司であったので、半僧半俗のため毛僧といわれた。その数年後、善南は家督を梅元家第十代御料荘司正高に譲り、1484年に入道して屋敷内に一庵を設けて、蓮如上人揮毫の六字名号を安置し、浄徳庵と名づけて念仏の道場とした。

その後、浄徳庵は梅本氏によって維持されたが、善城滝上寺の下についた。そして、1694年に現在地に本堂を造営し、同8月20日本山より木仏尊形(本尊阿弥陀如来木像)が下附され、同10月23日寺号の公称が許可され梅元山浄徳寺となった。

この時点で、浄徳寺は願行寺門徒の滝上寺下となり正式に滝上寺末寺となった。

それ以後、浄徳寺は滝上寺の看坊となり住職をおかず、「元文年間の教順」、「宝暦の自雲」、「文政の衆鎧」、「天宝の象鎧」、「弘化の聚鎧」等は、すべて看守または留守居となっている。

明治以後、本山の直属末寺となり、萩覚道が1870年に入寺し、住職となり、その後滝上寺住職が隠居後入寺し、恵暁(滝上寺二十四世)、恵厳(滝上寺二十五世)が住職となる。

1900年より滝上寺住職が代務住職となり、留守居をおいていたが、1948年に恵亮が入寺し、1983年にその息子の良成が住職となり、現在に至る。